『夕凪の街、桜の国』2008/05/18 13:33

 映画『夕凪の街、桜の国』をビデオで見た。それで、原作のマンガを読んでいなかったのを思い出して──というか、なかなか読めなかったけど、思い切って読んでみることにした。
 マンガの『夕凪の街 桜の国』が話題になったときは、一度は読んでみようと書店で手に取ったのだが、やっぱりやめにした。ちょっと辛そうだったからだ。
 戦争の話、原爆の話は、泣けて泣けてしかたがないので、敬遠していた時期だったのだ。

 初めて広島の原爆資料館に行ったのは、30代の頃だ。たまたま仕事で広島に行って、時間が余ったので、やはりここだろうなと思って資料館に行った。
 ちょうど小学生の団体が入場するところだった。それまでがやがやとしていた小学生が入ってすぐに、さっと静かになり真剣な顔に変わったのを覚えている。そして僕は、小学生たちがひと通り見学をして、次の部屋に移っていくまでは我慢していたのだけれど、声は一生懸命抑えたけれど、涙が止まらなかった。他には誰もいない静かな午後だったけれど、少し恥ずかしかった。だから、『夕凪の街 桜の国』のなかで、東子が資料館に行って、具合が悪くなるほどショックを受けるのはわかる気がする。

 僕はもちろん戦争は知らないが、うちの祖母や母は愛知県の豊橋市に住んでいたので、焼夷弾に家を焼かれるという経験をしている。隣の豊川に軍需工場もあり、豊橋の空襲は激しかった。母のひとつ下の弟は、豊川工廠の空襲で死んでいる。

 僕が『夕凪の街 桜の国』が作品としてすぐれていると思うのは、原爆を単純な悲劇や恨みとして描いているのではない点だ。もちろん、悲劇、恨みとしての部分は「夕凪の街」にしっかりと描かれている。皆実が最後につぶやく「原爆を落とした人は……」の言葉は、あまりに重い。

 しかし、おそらくそれでは原爆投下から60年以上たった現在では、この切実な叫びに目を背ける人のほうが多いのではないか。しかし、「夕凪の街」に続く「桜の国」で時制は現在となり、被爆二世として生きざるを得ない姉弟の話へと展開していく。そこに、現在に生きる読者とのつながりが出てくる。
 そこに、切実な原爆による死はない。しかし、時制はしばしば逆戻りし、原爆症で死んだ姉弟の母の死、それにさかのぼる父と母の出会いが語られる。

 母は、後年、「戦争のことについてもう少し話したほうがよかったかね」と言ったことがある。その通り、僕たちには、母から戦争の体験はほとんど語られなかった。でも、語られないことで、かえってそういうことがあったことは印象深く感じていた。
 母や親戚の人から断片的に聞きかじったことから、母の弟が豊川海軍工廠の空襲で、防空壕に避難したが、爆弾で埋まってしまい亡くなったことは知っていた。母や祖母が空襲で家を焼かれ、檀家になっているお寺に身を寄せたことも聞いている。

 それで僕は、知らずに戦争ということにすごく敏感になっていたんだと思う。中学生の頃には、暮しの手帖から出版された戦時中の手記などを読んでいた。でも、そのことは母に話したりはしなかった。祖母からも、戦争の大変だったことは聞いたことがない。ひとつだけ、祖母が「日本が勝つなんて全然思っていなかった」とつぶやいたのはよく覚えている。

 母はほとんど何も語らなかったにしても、僕のなかには、戦争を虫酸が走るほど嫌う気持ちがしっかりと植えつけられた。さて、こうした気持ちは、僕らの次の世代ににどうやって受け継いでいけばいいのだろう。僕ら夫婦には子どもはいないので、弟夫婦の3人の姪と甥について考えてみる。
 そういうとき、『夕凪の街 桜の国』のマンガや映画は力を発揮するだろう。広島へ行って、原爆資料館に連れていくのもいい。それにしても、東京にはなぜ、小学生、中学生の誰もが行くような、東京大空襲のきちんとした資料館がないのだろう。
(2008.5.16)

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