海外の文学 ― 2008/05/20 00:28
毎年、各国で開かれている国際ペン大会が、2010年に東京で開かれることが本決まりになった。日本ペンクラブの会員で広報委員会の副委員長をやっていることもあって、国際ペン大会は大いに楽しみだ。何と言っても、全世界から有名な作家が大挙日本にやってくる。
前回の84年の東京大会の出席者のリストを見ると、には、僕が作品を読んだことがあって好きな作家だけでも、カート・ボネガット、アラン・ロブ=グリエ、アラン・シリトー、ワシーリー・アクショーノフ、とそうそうたる名前が並んでいる。
さて、それで、10年の大会には海外からどんな作家に来てもらいたいかと考えてみて、実は海外の作家についてあまり知らないことに気がついた。
英米文学は、けっこう読んではいるのだが、アフリカ、アジア、南アメリカとなると、有名な作家以外はほとんど知らない。
ということで、インターネットで検索してサイトを探して、「海外の文学」というページを作ってみた。http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/kaigai.htm
今後充実していく予定なので、乞うご期待。
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/
前回の84年の東京大会の出席者のリストを見ると、には、僕が作品を読んだことがあって好きな作家だけでも、カート・ボネガット、アラン・ロブ=グリエ、アラン・シリトー、ワシーリー・アクショーノフ、とそうそうたる名前が並んでいる。
さて、それで、10年の大会には海外からどんな作家に来てもらいたいかと考えてみて、実は海外の作家についてあまり知らないことに気がついた。
英米文学は、けっこう読んではいるのだが、アフリカ、アジア、南アメリカとなると、有名な作家以外はほとんど知らない。
ということで、インターネットで検索してサイトを探して、「海外の文学」というページを作ってみた。http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/kaigai.htm
今後充実していく予定なので、乞うご期待。
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『夕凪の街、桜の国』 ― 2008/05/18 13:33
映画『夕凪の街、桜の国』をビデオで見た。それで、原作のマンガを読んでいなかったのを思い出して──というか、なかなか読めなかったけど、思い切って読んでみることにした。
マンガの『夕凪の街 桜の国』が話題になったときは、一度は読んでみようと書店で手に取ったのだが、やっぱりやめにした。ちょっと辛そうだったからだ。
戦争の話、原爆の話は、泣けて泣けてしかたがないので、敬遠していた時期だったのだ。
初めて広島の原爆資料館に行ったのは、30代の頃だ。たまたま仕事で広島に行って、時間が余ったので、やはりここだろうなと思って資料館に行った。
ちょうど小学生の団体が入場するところだった。それまでがやがやとしていた小学生が入ってすぐに、さっと静かになり真剣な顔に変わったのを覚えている。そして僕は、小学生たちがひと通り見学をして、次の部屋に移っていくまでは我慢していたのだけれど、声は一生懸命抑えたけれど、涙が止まらなかった。他には誰もいない静かな午後だったけれど、少し恥ずかしかった。だから、『夕凪の街 桜の国』のなかで、東子が資料館に行って、具合が悪くなるほどショックを受けるのはわかる気がする。
僕はもちろん戦争は知らないが、うちの祖母や母は愛知県の豊橋市に住んでいたので、焼夷弾に家を焼かれるという経験をしている。隣の豊川に軍需工場もあり、豊橋の空襲は激しかった。母のひとつ下の弟は、豊川工廠の空襲で死んでいる。
僕が『夕凪の街 桜の国』が作品としてすぐれていると思うのは、原爆を単純な悲劇や恨みとして描いているのではない点だ。もちろん、悲劇、恨みとしての部分は「夕凪の街」にしっかりと描かれている。皆実が最後につぶやく「原爆を落とした人は……」の言葉は、あまりに重い。
しかし、おそらくそれでは原爆投下から60年以上たった現在では、この切実な叫びに目を背ける人のほうが多いのではないか。しかし、「夕凪の街」に続く「桜の国」で時制は現在となり、被爆二世として生きざるを得ない姉弟の話へと展開していく。そこに、現在に生きる読者とのつながりが出てくる。
そこに、切実な原爆による死はない。しかし、時制はしばしば逆戻りし、原爆症で死んだ姉弟の母の死、それにさかのぼる父と母の出会いが語られる。
母は、後年、「戦争のことについてもう少し話したほうがよかったかね」と言ったことがある。その通り、僕たちには、母から戦争の体験はほとんど語られなかった。でも、語られないことで、かえってそういうことがあったことは印象深く感じていた。
母や親戚の人から断片的に聞きかじったことから、母の弟が豊川海軍工廠の空襲で、防空壕に避難したが、爆弾で埋まってしまい亡くなったことは知っていた。母や祖母が空襲で家を焼かれ、檀家になっているお寺に身を寄せたことも聞いている。
それで僕は、知らずに戦争ということにすごく敏感になっていたんだと思う。中学生の頃には、暮しの手帖から出版された戦時中の手記などを読んでいた。でも、そのことは母に話したりはしなかった。祖母からも、戦争の大変だったことは聞いたことがない。ひとつだけ、祖母が「日本が勝つなんて全然思っていなかった」とつぶやいたのはよく覚えている。
母はほとんど何も語らなかったにしても、僕のなかには、戦争を虫酸が走るほど嫌う気持ちがしっかりと植えつけられた。さて、こうした気持ちは、僕らの次の世代ににどうやって受け継いでいけばいいのだろう。僕ら夫婦には子どもはいないので、弟夫婦の3人の姪と甥について考えてみる。
そういうとき、『夕凪の街 桜の国』のマンガや映画は力を発揮するだろう。広島へ行って、原爆資料館に連れていくのもいい。それにしても、東京にはなぜ、小学生、中学生の誰もが行くような、東京大空襲のきちんとした資料館がないのだろう。
(2008.5.16)
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/
マンガの『夕凪の街 桜の国』が話題になったときは、一度は読んでみようと書店で手に取ったのだが、やっぱりやめにした。ちょっと辛そうだったからだ。
戦争の話、原爆の話は、泣けて泣けてしかたがないので、敬遠していた時期だったのだ。
初めて広島の原爆資料館に行ったのは、30代の頃だ。たまたま仕事で広島に行って、時間が余ったので、やはりここだろうなと思って資料館に行った。
ちょうど小学生の団体が入場するところだった。それまでがやがやとしていた小学生が入ってすぐに、さっと静かになり真剣な顔に変わったのを覚えている。そして僕は、小学生たちがひと通り見学をして、次の部屋に移っていくまでは我慢していたのだけれど、声は一生懸命抑えたけれど、涙が止まらなかった。他には誰もいない静かな午後だったけれど、少し恥ずかしかった。だから、『夕凪の街 桜の国』のなかで、東子が資料館に行って、具合が悪くなるほどショックを受けるのはわかる気がする。
僕はもちろん戦争は知らないが、うちの祖母や母は愛知県の豊橋市に住んでいたので、焼夷弾に家を焼かれるという経験をしている。隣の豊川に軍需工場もあり、豊橋の空襲は激しかった。母のひとつ下の弟は、豊川工廠の空襲で死んでいる。
僕が『夕凪の街 桜の国』が作品としてすぐれていると思うのは、原爆を単純な悲劇や恨みとして描いているのではない点だ。もちろん、悲劇、恨みとしての部分は「夕凪の街」にしっかりと描かれている。皆実が最後につぶやく「原爆を落とした人は……」の言葉は、あまりに重い。
しかし、おそらくそれでは原爆投下から60年以上たった現在では、この切実な叫びに目を背ける人のほうが多いのではないか。しかし、「夕凪の街」に続く「桜の国」で時制は現在となり、被爆二世として生きざるを得ない姉弟の話へと展開していく。そこに、現在に生きる読者とのつながりが出てくる。
そこに、切実な原爆による死はない。しかし、時制はしばしば逆戻りし、原爆症で死んだ姉弟の母の死、それにさかのぼる父と母の出会いが語られる。
母は、後年、「戦争のことについてもう少し話したほうがよかったかね」と言ったことがある。その通り、僕たちには、母から戦争の体験はほとんど語られなかった。でも、語られないことで、かえってそういうことがあったことは印象深く感じていた。
母や親戚の人から断片的に聞きかじったことから、母の弟が豊川海軍工廠の空襲で、防空壕に避難したが、爆弾で埋まってしまい亡くなったことは知っていた。母や祖母が空襲で家を焼かれ、檀家になっているお寺に身を寄せたことも聞いている。
それで僕は、知らずに戦争ということにすごく敏感になっていたんだと思う。中学生の頃には、暮しの手帖から出版された戦時中の手記などを読んでいた。でも、そのことは母に話したりはしなかった。祖母からも、戦争の大変だったことは聞いたことがない。ひとつだけ、祖母が「日本が勝つなんて全然思っていなかった」とつぶやいたのはよく覚えている。
母はほとんど何も語らなかったにしても、僕のなかには、戦争を虫酸が走るほど嫌う気持ちがしっかりと植えつけられた。さて、こうした気持ちは、僕らの次の世代ににどうやって受け継いでいけばいいのだろう。僕ら夫婦には子どもはいないので、弟夫婦の3人の姪と甥について考えてみる。
そういうとき、『夕凪の街 桜の国』のマンガや映画は力を発揮するだろう。広島へ行って、原爆資料館に連れていくのもいい。それにしても、東京にはなぜ、小学生、中学生の誰もが行くような、東京大空襲のきちんとした資料館がないのだろう。
(2008.5.16)
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大貫妙子のアコースティックライブ ― 2007/05/20 10:55
少し前の話になるが、4月30日、大貫妙子のアコースティックコンサートに出かけた(東京オペラシティ)。今年で20年目になるそうだが、最初の87年の赤坂のサントリー小ホールで開かれたコンサートにも、わくわくしながら行ったのを思い出す。当時は、ロック/ニューミュージック系のアーティストが、クラシック専門のコンサートホールで演奏するのはきわめてまれ。いつものコンサートとはずいぶん違う感じで見ていた。
それ以来、大貫妙子のアコースティックコンサートには、たびたび出かけた。大貫さんの場合、アルバムの出る度に行われるライブは、どちらかというとロック色が強いが、アコースティックライブの場合、ドラムも含めて、ピアノ、弦楽器で、音響装置はさておき、楽器はすべて電気を使わないものだ。
この形式のアコースティックライブは、その後、だいたい一年に一回くらいのペースで定期的に続けられた。彼女のMCによれば、「多くの電気楽器を使う通常のライブよりも、お金がかからないから」ということらしいが、拍手で盛り上がるようなロックのコンサートとは違い、観客はじっと息を詰めて聞き入る。聞くほうにも緊張が求められ、冗談ではなく一曲終わるごとに、ほっと息をつくという感じ。それだけに、一曲一曲、心にしみいるような旋律と歌声だった。
実は、10年くらい前から、アコースティックライブには少しずつ疎遠になっていて、今回のコンサートは、三年ぶりくらいだった。毎回だいたい内容は同じ、感動は得られるけど、少しずついつも同じという感じがしていた。
今回のコンサートの前には、アコースティックユニットで録音した新しいアルバム「ブックル・ドレイユ」が2007年3月21日に発売されている。それもあって、久しぶりのアコースティックコンサートに行くことにしたのだ。
久しぶりに見た、アコースティックライブはずいぶん違っていた。肩の力が抜けているというのだろうか、以前は緊張感ピリピリで聴いていて、それでこその感動があったのだが、今回は同じ歌でも、ゆったりと楽しんで、しかも胸に迫る感動があった。
「ミュージック・マガジン」2007年4月号のインタビューで、大貫さんは、こんなふうに話している。
「やっぱり表現というものは、歳をとってきたほうが豊かになるのは事実だし、自分でもそう思う。昔の方が声のキラキラ感はあるんですけど、なんというか…、深みがないですよね(笑)」
ああ、そういうことなんだと、思った。大貫妙子のアコースティックライブは、いまスゴイ。
それ以来、大貫妙子のアコースティックコンサートには、たびたび出かけた。大貫さんの場合、アルバムの出る度に行われるライブは、どちらかというとロック色が強いが、アコースティックライブの場合、ドラムも含めて、ピアノ、弦楽器で、音響装置はさておき、楽器はすべて電気を使わないものだ。
この形式のアコースティックライブは、その後、だいたい一年に一回くらいのペースで定期的に続けられた。彼女のMCによれば、「多くの電気楽器を使う通常のライブよりも、お金がかからないから」ということらしいが、拍手で盛り上がるようなロックのコンサートとは違い、観客はじっと息を詰めて聞き入る。聞くほうにも緊張が求められ、冗談ではなく一曲終わるごとに、ほっと息をつくという感じ。それだけに、一曲一曲、心にしみいるような旋律と歌声だった。
実は、10年くらい前から、アコースティックライブには少しずつ疎遠になっていて、今回のコンサートは、三年ぶりくらいだった。毎回だいたい内容は同じ、感動は得られるけど、少しずついつも同じという感じがしていた。
今回のコンサートの前には、アコースティックユニットで録音した新しいアルバム「ブックル・ドレイユ」が2007年3月21日に発売されている。それもあって、久しぶりのアコースティックコンサートに行くことにしたのだ。
久しぶりに見た、アコースティックライブはずいぶん違っていた。肩の力が抜けているというのだろうか、以前は緊張感ピリピリで聴いていて、それでこその感動があったのだが、今回は同じ歌でも、ゆったりと楽しんで、しかも胸に迫る感動があった。
「ミュージック・マガジン」2007年4月号のインタビューで、大貫さんは、こんなふうに話している。
「やっぱり表現というものは、歳をとってきたほうが豊かになるのは事実だし、自分でもそう思う。昔の方が声のキラキラ感はあるんですけど、なんというか…、深みがないですよね(笑)」
ああ、そういうことなんだと、思った。大貫妙子のアコースティックライブは、いまスゴイ。
神戸で暮らす ― 2004/07/16 14:07
昨年始めたブログが放りだしたままになっていましたが、2004年4月から1年間の予定で神戸市に滞在していて、いろいろ新しい話もあるので再開しようかと思います。
まず最初は、初めての関西生活で驚いたことなど。
今神戸で暮らしているところは、阪急王子公園駅のそば。近くに水道筋商店街という古くからの商店街があり、ここがなかなか面白い。
神戸の前に住んでいた東北の福島市(関西では、福島と言えば、大阪市福島区なので、「東北の」と言わないといけない)では、歩いて数分のところに小さなスーパーマーケットはあったが、それ以外の買い物は車で出かけなければならなかった。
その前に二六年間住んでいた東京・世田谷区でも、住宅街の真ん中だったので、たばこ屋が歩いて五分くらいのところにある以外は、どの商店も一〇分以上離れたところにあった。当然、買い物は車だった。
ところが、神戸に越してきて買い物に車を使うことがほとんどなくなった。最初でこそ、衣装ケース、テーブルなどを買うのに車でリサイクルショップに出かけたりしたが、大きなものの買い物が終われば日常の買い物は歩いて行ける水道筋商店街ですんでしまう。
今住んでいるアパートからはコンビニまで五分かからないという便利さだ。福島では、近くにスーパーがあっても八時には閉店した。二四時間開いているコンビニが近くにある、という生活は今まで初めてのこと。そういう便利さにどれほど価値があるかは難しいところだが、取りあえずはその便利さを満喫している。反対に、夜中じゅう車の音が絶えることはなく、福島にあった「静かな夜」は存在しない。
話が横道にそれたが、その水道筋商店街の話。福島市では、大型スーパーや専門のディスカウントショップが幅を利かせて古くからの商店街はほとんど死滅している状態だが、水道筋商店街は活気がある。かといって、とりわけ画期的な取り組みをしているわけでもない。ごく普通の商店街だ。こんな品揃えで大丈夫かなという昔ながらの商店もある。でも取りあえず一日じゅう人の流れが途切れない。
水道筋商店街を見ていて思うのは、お年寄りの多さだ。福島市では、スーパーに行ってもお年寄りをこれほど見かけることはない。お年寄りがいないとは思えないので、これはたぶん福島では車などの交通手段がないので、お年寄りは買い物に行けないのではないかと想像している。では、いったいどうしているのだろう。
神戸はもともと山が海に迫っていて土地もそれほど広くない。郊外型スーパーのように、広い駐車場を持った大規模店舗の立地はない。だからこそ、水道筋商店街のような昔ながらの商店街が生き残ったのかもしれない。
でもとにかく、こうした昔ながらの商店街もなかなかいいものだ。水道筋商店街といってもそれだけではなくて、たて横に他の商店街もつながっている。他に路地のような小さな商店街も隠れていたりする。全貌はなかなか把握できない。
端まで歩くと三〇分くらいかかるのだが、それも全然苦にならない。いろんな店を冷やかしながら歩けるからだ。福島でもわりと大きなスーパーまで歩いて三〇分弱だったが、歩いていったことはほとんどなかった。住宅街をただ歩くのはそれほど面白くないのだ。
毎日商店街に出かけて三〇分近く歩いていることで、何と体重も減少した。
(2004.7.16)
鈴木康之 suzuki.yasuyuki@nifty.ne.jp
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/
まず最初は、初めての関西生活で驚いたことなど。
今神戸で暮らしているところは、阪急王子公園駅のそば。近くに水道筋商店街という古くからの商店街があり、ここがなかなか面白い。
神戸の前に住んでいた東北の福島市(関西では、福島と言えば、大阪市福島区なので、「東北の」と言わないといけない)では、歩いて数分のところに小さなスーパーマーケットはあったが、それ以外の買い物は車で出かけなければならなかった。
その前に二六年間住んでいた東京・世田谷区でも、住宅街の真ん中だったので、たばこ屋が歩いて五分くらいのところにある以外は、どの商店も一〇分以上離れたところにあった。当然、買い物は車だった。
ところが、神戸に越してきて買い物に車を使うことがほとんどなくなった。最初でこそ、衣装ケース、テーブルなどを買うのに車でリサイクルショップに出かけたりしたが、大きなものの買い物が終われば日常の買い物は歩いて行ける水道筋商店街ですんでしまう。
今住んでいるアパートからはコンビニまで五分かからないという便利さだ。福島では、近くにスーパーがあっても八時には閉店した。二四時間開いているコンビニが近くにある、という生活は今まで初めてのこと。そういう便利さにどれほど価値があるかは難しいところだが、取りあえずはその便利さを満喫している。反対に、夜中じゅう車の音が絶えることはなく、福島にあった「静かな夜」は存在しない。
話が横道にそれたが、その水道筋商店街の話。福島市では、大型スーパーや専門のディスカウントショップが幅を利かせて古くからの商店街はほとんど死滅している状態だが、水道筋商店街は活気がある。かといって、とりわけ画期的な取り組みをしているわけでもない。ごく普通の商店街だ。こんな品揃えで大丈夫かなという昔ながらの商店もある。でも取りあえず一日じゅう人の流れが途切れない。
水道筋商店街を見ていて思うのは、お年寄りの多さだ。福島市では、スーパーに行ってもお年寄りをこれほど見かけることはない。お年寄りがいないとは思えないので、これはたぶん福島では車などの交通手段がないので、お年寄りは買い物に行けないのではないかと想像している。では、いったいどうしているのだろう。
神戸はもともと山が海に迫っていて土地もそれほど広くない。郊外型スーパーのように、広い駐車場を持った大規模店舗の立地はない。だからこそ、水道筋商店街のような昔ながらの商店街が生き残ったのかもしれない。
でもとにかく、こうした昔ながらの商店街もなかなかいいものだ。水道筋商店街といってもそれだけではなくて、たて横に他の商店街もつながっている。他に路地のような小さな商店街も隠れていたりする。全貌はなかなか把握できない。
端まで歩くと三〇分くらいかかるのだが、それも全然苦にならない。いろんな店を冷やかしながら歩けるからだ。福島でもわりと大きなスーパーまで歩いて三〇分弱だったが、歩いていったことはほとんどなかった。住宅街をただ歩くのはそれほど面白くないのだ。
毎日商店街に出かけて三〇分近く歩いていることで、何と体重も減少した。
(2004.7.16)
鈴木康之 suzuki.yasuyuki@nifty.ne.jp
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『ビールの教科書』 ― 2003/08/26 20:37
ビールは難しい。もちろん、ワインも日本酒も難しいのだけれど、ビールはワインのように、何年の何は当たり年でおいしいとか、年代を語ることはない。だから、それほど難しくはないと思っていた。しかし、アメリカ、オレゴン州のポートランドで半年ほど暮らす機会があって、地元のいろんなビールを飲んで、わかっていたと思っていたビールが、訳がわからなくなった。
ポートランドには、いろんなビールがあった。ポートランド“食べ過ぎ”日記(http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/portland.htm)でも、レストランや食べ物、ビールについてもいろいろ書いている。ポートランドでは、スーパーマーケットに行っても、ピルスナー、スタウトなど、馴染みの名前のほかに、インディア・ペール・エールなど、聞き覚えのない名前のビールが多かった。
ポートランドには、店内に、ビール醸造機を備えたビアレストランもあって、ビールを十分楽しむことができた。ポートランドでは、図書館にも行って、ビールの本も借りたりしたのだけれど、ビール全般のことが大まかにうまく把握できるような本は見つからなかった。世界中のビールメーカーとビールの銘柄をまとめて本は、面白くて役に立ったが、たとえば、“インディア・ペール・エールというのはどんなビールか”というのはどうもよくわからない。
そうした疑問を持ったまま、アメリカ滞在を終えて、日本に戻ってきたが(といっても、別にビールの研究にアメリカに行ったわけではないが)、長年の疑問がようやく解決する本を見つけた。新聞の新刊広告で見かけて、タイトルに引かれて注文したのだが、思った通り、間違いのない本だった。
『ビールの教科書』(講談社選書メチエ 1500円)の著者の青井博幸さんの経歴は面白い。京都大学工学部の修士課程を終えたあと、エンジニアリング会社に勤務。専攻はわからないが、ビールとはあまり関係なさそうだ。それが、自らビールメーカーを起こして地ビールを作り始めた。ビール好きが高じて、会社まで作ってしまったのかと想像してしまう。
四年間創業後、ビール事業は売却、その後は経営コンサルティング会社に転換というが、それも、各地の地ビールの(味や製法の)デザインなどをしているらしい。福島の、「みちのく福島路ビール」も青井さんが設計したようだ。
そうしたとにかくビールへの愛と情熱が伝わってくるのが、この『ビールの教科書』。メールマガジンとして配布していたものを元に書いたそうで、おそらく読者とのやりとりから、書き直したり、書き加えたところがあって、わかりやすい内容になっている。
この本を読めば、ビールについて、基礎的以上の知識を身に付けられる。特にビールの種類と製法と説明がわかりやすく、しかも詳しい。
たとえば、ビールの製法には、上面発酵と下面発酵がある。酵母によって、上面で発酵するものと下面で発酵するのがあるというふうに僕は理解していたが、実は、発酵したあと、酵母が下にたまるのが、下面発酵、上に浮かぶのが上面発酵だそうだ。青井さんは、さらに、上面発酵でも、温度を下げると、酵母は下にたまると解説している。
さらに、上面、下面という区別より重要なのは、上面発酵(エール)は、18度~22度、下面発酵(ラガー)は、5度~10度という違いのようだ。これで、上面発酵/下面発酵についての長年の疑問が解けた気がした。
また、インディア・ペール・エールというのは、かつてイギリスから植民地のインドへ、ビールを運ぶとき、気温の高い熱帯を通るので、ビールが腐敗してしまう(もちろん冷蔵庫などない)。それを防ぐために、アルコール度を高くして、ホップもたくさん加えたという話も面白かった。
ホップは、今は香りと苦みのために加えているが、最初は、殺菌して腐敗を防ぐためのものだったのだ。
本当に、この本は、無駄(?)な知識も含めて、ビールに関することがいろいろわかって楽しい。今の日本の発泡酒ブームや、同じようなビールばかり造っている大メーカーへの苦言も、納得できる。
巻末に載っている地ビールのリストと紹介文を見ながら、日本の地ビールももっと飲んでみたいと思った。大メーカーのビールは止めて、福島路ビールを、もっと飲もうかと思っている。
2003/08/26
suzuki.yasuyuki@nifty.ne.jp
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/
ポートランドには、いろんなビールがあった。ポートランド“食べ過ぎ”日記(http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/portland.htm)でも、レストランや食べ物、ビールについてもいろいろ書いている。ポートランドでは、スーパーマーケットに行っても、ピルスナー、スタウトなど、馴染みの名前のほかに、インディア・ペール・エールなど、聞き覚えのない名前のビールが多かった。
ポートランドには、店内に、ビール醸造機を備えたビアレストランもあって、ビールを十分楽しむことができた。ポートランドでは、図書館にも行って、ビールの本も借りたりしたのだけれど、ビール全般のことが大まかにうまく把握できるような本は見つからなかった。世界中のビールメーカーとビールの銘柄をまとめて本は、面白くて役に立ったが、たとえば、“インディア・ペール・エールというのはどんなビールか”というのはどうもよくわからない。
そうした疑問を持ったまま、アメリカ滞在を終えて、日本に戻ってきたが(といっても、別にビールの研究にアメリカに行ったわけではないが)、長年の疑問がようやく解決する本を見つけた。新聞の新刊広告で見かけて、タイトルに引かれて注文したのだが、思った通り、間違いのない本だった。
『ビールの教科書』(講談社選書メチエ 1500円)の著者の青井博幸さんの経歴は面白い。京都大学工学部の修士課程を終えたあと、エンジニアリング会社に勤務。専攻はわからないが、ビールとはあまり関係なさそうだ。それが、自らビールメーカーを起こして地ビールを作り始めた。ビール好きが高じて、会社まで作ってしまったのかと想像してしまう。
四年間創業後、ビール事業は売却、その後は経営コンサルティング会社に転換というが、それも、各地の地ビールの(味や製法の)デザインなどをしているらしい。福島の、「みちのく福島路ビール」も青井さんが設計したようだ。
そうしたとにかくビールへの愛と情熱が伝わってくるのが、この『ビールの教科書』。メールマガジンとして配布していたものを元に書いたそうで、おそらく読者とのやりとりから、書き直したり、書き加えたところがあって、わかりやすい内容になっている。
この本を読めば、ビールについて、基礎的以上の知識を身に付けられる。特にビールの種類と製法と説明がわかりやすく、しかも詳しい。
たとえば、ビールの製法には、上面発酵と下面発酵がある。酵母によって、上面で発酵するものと下面で発酵するのがあるというふうに僕は理解していたが、実は、発酵したあと、酵母が下にたまるのが、下面発酵、上に浮かぶのが上面発酵だそうだ。青井さんは、さらに、上面発酵でも、温度を下げると、酵母は下にたまると解説している。
さらに、上面、下面という区別より重要なのは、上面発酵(エール)は、18度~22度、下面発酵(ラガー)は、5度~10度という違いのようだ。これで、上面発酵/下面発酵についての長年の疑問が解けた気がした。
また、インディア・ペール・エールというのは、かつてイギリスから植民地のインドへ、ビールを運ぶとき、気温の高い熱帯を通るので、ビールが腐敗してしまう(もちろん冷蔵庫などない)。それを防ぐために、アルコール度を高くして、ホップもたくさん加えたという話も面白かった。
ホップは、今は香りと苦みのために加えているが、最初は、殺菌して腐敗を防ぐためのものだったのだ。
本当に、この本は、無駄(?)な知識も含めて、ビールに関することがいろいろわかって楽しい。今の日本の発泡酒ブームや、同じようなビールばかり造っている大メーカーへの苦言も、納得できる。
巻末に載っている地ビールのリストと紹介文を見ながら、日本の地ビールももっと飲んでみたいと思った。大メーカーのビールは止めて、福島路ビールを、もっと飲もうかと思っている。
2003/08/26
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タワー・オブ・パワー ― 2003/08/25 01:38
タワー・オブ・パワーは、知らない人には全然関係ないけれど、知っている人好きな人には、たまらないという類のバンドだろう。僕の場合は後者。もう20年以上前になるが、日本公演へ出かけて、アンコールで舞台下まで行って、握手したこともある。
とはいっても、最近は情報に疎いので、彼らの、六年ぶりのニューアルバム(もう、結成35年になる)が、日本でも6月に発売されていることは全然知らなかった。
最近読んでいる音楽雑誌は『レコード・コレクターズ』だけなので、新譜情報はなかなか入ってこない。タワー・オブ・パワーの新作を知ったのも、思わぬことからだった。
僕は、山下達郎のFMラジオ番組「サンデー・ソングブック」を毎週楽しみに聴いているが、時には、たまたま自宅にいなくて、あとから、録音したものを聴くことがある(生で聴けるときも、録音はしていて、あとで繰り返し聴く。そのあとは、CD-Rに焼いて、車のなかでも聴く)。
その「サンデー・ソングブック」の録音を聴き返していたのだが、6月30日に閉館した東急文化会館が話題になっていた。僕は、高校も大学もそのあとの就職先も、渋谷から近かったので、東急文化会館はお馴染みの場所だ。三省堂書店にもよく行ったし、映画もよく見た。大学浪人しているとき、たまたまもらった招待券で、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの『スティング』を見て、何の予備知識もなかったので、最後のどんでん返しで、まさにひっくり返ったことを今でも思い出す。
そうか、東急文化会館は閉館したのか、と思って、グーグルで検索してみた。
そうしたら、DENKADELIC!というブログのページの記事「さらば東急文化会館」が出てきた。(このページはすでにない) この人は、インディーズ系のバンドでドラムを叩いているらしいが、ブログはなかかな面白い。いろいろ読んでいくうちに見つけたのが、タワー・オブ・パワーの最新オリジナルアルバム「オークランド・ゾーン」発売の記事。
ニューアルバムの全曲は、インターネットで視聴可能(このページもすでにない)。インターネットで全曲聴かせてしまって、商売になるのだろうか? ホームページ上では、14曲聴くには、一曲終わるごとにクリックしないといけないが、たとえばReal Audioなら、~.ramのファイルをハードディスクに保存すれば(ramファイルは、実際の楽曲のファイルがある場所を指定するだけのファイル)、いちいちホームページにアクセスしなくても、リアルオーディオを開くだけで、タワー・オブ・パワーのニューアルバムの全14曲を続けて聴くことができる。音質は、44kbpsとそれほどよくないが(普通MP3で聴いているときは、128kbps。MP3とReal Audioをそのまま比較できるかどうかはよくわからないが)、パソコンで仕事をしながら聴くぶんにはそれほど悪い音質ではない。
タワー・オブ・パワーの最新オリジナルアルバムは、とてもよかった。35年経っても初期のパワーを失わないのは、ジェームス・ブラウンくらいスゴイ! 日本盤には2曲追加収録されているというから、CDも買おうかと思っている(ということは、全曲聴かせたレコード会社の宣伝戦略の勝利か!)。
タワー・オブ・パワーのについて、検索していたら、充実したホームページも見つけた。http://www.towerofpower.jp/
2003/8/25
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/
とはいっても、最近は情報に疎いので、彼らの、六年ぶりのニューアルバム(もう、結成35年になる)が、日本でも6月に発売されていることは全然知らなかった。
最近読んでいる音楽雑誌は『レコード・コレクターズ』だけなので、新譜情報はなかなか入ってこない。タワー・オブ・パワーの新作を知ったのも、思わぬことからだった。
僕は、山下達郎のFMラジオ番組「サンデー・ソングブック」を毎週楽しみに聴いているが、時には、たまたま自宅にいなくて、あとから、録音したものを聴くことがある(生で聴けるときも、録音はしていて、あとで繰り返し聴く。そのあとは、CD-Rに焼いて、車のなかでも聴く)。
その「サンデー・ソングブック」の録音を聴き返していたのだが、6月30日に閉館した東急文化会館が話題になっていた。僕は、高校も大学もそのあとの就職先も、渋谷から近かったので、東急文化会館はお馴染みの場所だ。三省堂書店にもよく行ったし、映画もよく見た。大学浪人しているとき、たまたまもらった招待券で、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの『スティング』を見て、何の予備知識もなかったので、最後のどんでん返しで、まさにひっくり返ったことを今でも思い出す。
そうか、東急文化会館は閉館したのか、と思って、グーグルで検索してみた。
そうしたら、DENKADELIC!というブログのページの記事「さらば東急文化会館」が出てきた。(このページはすでにない) この人は、インディーズ系のバンドでドラムを叩いているらしいが、ブログはなかかな面白い。いろいろ読んでいくうちに見つけたのが、タワー・オブ・パワーの最新オリジナルアルバム「オークランド・ゾーン」発売の記事。
ニューアルバムの全曲は、インターネットで視聴可能(このページもすでにない)。インターネットで全曲聴かせてしまって、商売になるのだろうか? ホームページ上では、14曲聴くには、一曲終わるごとにクリックしないといけないが、たとえばReal Audioなら、~.ramのファイルをハードディスクに保存すれば(ramファイルは、実際の楽曲のファイルがある場所を指定するだけのファイル)、いちいちホームページにアクセスしなくても、リアルオーディオを開くだけで、タワー・オブ・パワーのニューアルバムの全14曲を続けて聴くことができる。音質は、44kbpsとそれほどよくないが(普通MP3で聴いているときは、128kbps。MP3とReal Audioをそのまま比較できるかどうかはよくわからないが)、パソコンで仕事をしながら聴くぶんにはそれほど悪い音質ではない。
タワー・オブ・パワーの最新オリジナルアルバムは、とてもよかった。35年経っても初期のパワーを失わないのは、ジェームス・ブラウンくらいスゴイ! 日本盤には2曲追加収録されているというから、CDも買おうかと思っている(ということは、全曲聴かせたレコード会社の宣伝戦略の勝利か!)。
タワー・オブ・パワーのについて、検索していたら、充実したホームページも見つけた。http://www.towerofpower.jp/
2003/8/25
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/
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